昔のヤリ目は伊豆七島で…男も女もやりまくってセックスアイランドと呼ばれていました!

今の伊豆七島では考えられないですが、全盛期は、ヤリ目で来ている男女で溢れかえっていたようです。

中にはとても大胆なヤカラもいて、新島に着いた途端に、浜辺に男女で寄り添って堂々とHしていた人もいたんだとか・・・

ヤリマン、ヤリチンには大好評の島でもあり、処女を捨てるためにくる女性もいただなんて・・・

当時の伊豆七島は、熱い島だったということでしょうね!

伊豆七島とは?

・大島
・利島
新島
式根島
神津島
・三宅島
・御蔵島
の七島が伊豆七島と呼ばれています。

竹芝桟橋から船がでていて、船中一泊で各島に行くことができます。

ヤリ島は、新島・式根島・神津島あたりですネ(笑)

 

伊豆七島はセックスアイランドだった…

伊豆七島の中でもセックスアイランドと言われていたのが…
新島、神津島、式根島あたりでしょうか。

特に新島はフリーセックスアイランドだったみたいですね。

「当時は、女子大生や女子高生がこぞって新島にバカンスに来ていた。行きの船ですでに争奪戦が始まっています。ビーチで声をかけ、浜辺でヤるのは当たり前。“処女捨て島”なんて呼び方もされていて、朝方、新島の海が処女の血で赤く染まった、なんて都市伝説も(笑)」

セックスアイランドと呼ばれていた80年代

携帯もスマホもない時代に、ヤリ目高校生や大学生は出会いを求めて島を目指していました…。

当時は、女子大生や女子高生がこぞって新島にバカンスに来ていた。行きの船ですでに争奪戦が始まっています。ビーチで声をかけ、浜辺でヤるのは当たり前。

早朝の砂浜。そこには大量のコンドームが白波に揺れていたという噂さえあったという。

セックスアイランドの体験談

「35年くらい前はね、20代の若い兄ちゃんがヨットで港に乗りつけては若い女のコを何人もナンパしたもんだ。船を持ってるなんて聞けば女のコも釣れ放題。でも、実際はみんな苦労してローンを組んで来てるんだよな。昼間になると節約のためか、カップ麺すすってるヤツもいて、いい意味でアホばかりでした」(地元のタクシー運転手)

昔、昔、今から30年前の話…
女3人で新島に行きました。
海から、民宿まで帰るのに3回以上はナンパがあり、それはそれは、なかなか宿へ帰えれませんでした。
それに朝、宿から海へたどり着くのも、3歩歩けばナンパ…また、歩けばナンパ…当時は肉食男子ばかりのヤリ目全盛時代でした。

まだサーファー全盛期の頃かな、高校生になったらバージン捨てなきゃ!みたいな感じがあって、彼氏のいないサーファーギャルがグループで新島行くのが流行ってました。まだコギャルもいない頃でした。観光客向けに無料のシャワーがあって、だから島中どこでもラブホ状態だったとか。。

私は中学あがったばかりで、友達のお姉ちゃんがよく話してるのを聞いて、3歳違うだけでオトナすぎる!ってびびってました。

もっと前35~6年位前です。

夏休みは新島に遊びに行くのがナンパBOYs&GIRLsの定番でした。

行きの東海汽船の船内から、争奪戦がくりひろげられます。

夜は海岸で花火をやって、その後は岩陰でムフフな危ない関係に…

なんと新島に行くまでの船の上で既に争奪戦が始まり、新島に着いた途端、他の人がいる中で浜辺に男女で寄り添ってセックスするのは当たり前という大胆な状況だったのです!

そしてヤリマンな女性はもちろん、処女である女性も訪れており、この島で処女を捨てるという女性も少なくはなかったといいます。そのため、「処女捨て島」とも呼ばれていたのだそうです。なんだか皆さん、大胆過ぎはしませんか?と驚いてしまいますね!

先輩に話を聞きましたが…
一晩で一人二人は当たり前。
まさに島全体が乱交パーティーのような
状況だったみたいですね。
羨ましい限りです。

サーフィンしにダチ3人とよく行ってたんだけど(マジで目的はサーフィンだった)
確かに夏の新島はヤリまくり島だった。
夜のハブシなんてそこらじゅうに騎乗位やフェラしてる人影やア~ア~の声。
(海岸は砂が入るから騎乗位が多かった)
行きのフェリーで仲良くなったコと夜8時ころハブシで1発
そのあと民宿のバイトのコと車でシークレットの方まで行ってカーセックスで1発
で、民宿もどって昼間ナンパしたコと部屋で1発
っていう1日3人てのがオレの最高記録だったw
女もほとんどがヤリ目で来てるから声かけて付いてくれば間違いなくズボッ!
1週間くらい滞在で4~5人は確実に撃ってたと思う。

懐かしい40年前の新島。
私もまだ若かったわ…。
夜の砂浜やボートの陰、浜茶屋、ありとあらゆるところでセックスしまくりでした。天の川が仰ぎながら腰振っていた。(笑)
毎晩相手は違うのよね。楽しかったな~。
あのころは矢沢永吉のアルバムが車からも店からも流れていたなぁ。。
まだリーゼントにアロハって感じのヤンキーが全盛期でした。

今こんなおばさんが浜でやっていたら…
きしょいよね(笑)。

昔々…新島=SEXアイランドとワイドショーが過熱してて。親の手前隣の式根島に行ったw。
取りあえず何組か声かけて、夜の約束したら。
向こうが処女捨てたかったようで、ゴム持って来てたよ。
今みたいに出会い系とか携帯がないから手軽にって訳にいかないんで男も女もわざわざ船で島まで行って涙ぐましい努力してSEXしたんだよ。
帰りの東海汽船でボーットしちゃって服からオッパイ出てるの気が付かないで寝てる女もいたりしてw

今のJKは手軽にヤレチャッテなんだかなー。
海や山でスキーとかサーフィンの腕磨いてナンパしてた時代って健康的だったよな・・・・

72年に高2で新島にヤリに行った。
この頃は東京の高校生なら、夏に新島に行けばヤレるというのは皆知ってたぜ。
女だってヤル気で来てたから、フェリーの中からナンパが始まってたし、民宿が一緒になったらほぼ間違いなくヤルことが出来た。
俺も高3の姉ちゃんと、ポン大の姉ちゃんと二股かけて、どっちも楽勝でヤレたぜ。
高3の姉ちゃんの方は初めてだったなぁ……。

大学時代に男3人で行ったな。関西から来た女3人組をナンパして
その日の晩はそれぞれとやったわ。
次の日は3×3の乱交状態で ヘトヘトになった。
その後、都内で一番感度の良かった子を誘って 男3人で廻しました。

 

1983年、女子校に行ってた友達が
「新島に行って処女捨ててくるー」って、ホントに捨てて来たよ。
新島はそういう場所だった。

彼女の属する世界では、卒業までにやっておかないと『天然記念物』なんだって。
「天然記念物になりたくないからぁ」と、あっけらかんとしたものでした。

 

私も友達と昼間の海岸で仲良くなった♂と各々夜を過ごしたが友達は真夜中の海の家で覗かれ放題のハメ撮り中出し。
私は相手が見つからなかった彼の友達まで相手に1対3の4Pを朝まで。
10代の過激ながら忘れられない思い出。舐められ放題はイキっぱなしで筆舌尽くし難し…

一番記憶に残ってるのは 夜 ビーチの後ろの藪で女の子2人が男3人がかりでマワされてたんで、連れのダチとそれを覗きながらチ○ポ勃てまくってチャンスを待ってた。
散々ヤりまくって満足した3人がいなくなったあと ぐったりしていたその子たちに
「今度は俺たちな」とかいって乗っかった。
知らないヤツらの精子で満たされたマ○コだったけど猿のようにヤりまくったな。
エイズもなかったし、いい時代だった

化粧品会社の部員さん(25歳)が高校時代の友達と来てました。
フェリーで意気投合し、島着いてからは路チューしながら民宿へ。
ビール一缶空けて、すぐにセックス開始。
予想はしてたけど嘘みたいな展開に興奮しました。
ショートカットでフェラテク凄くてオッパイはCカップで良い女系…。セーラム吸ってましたw

ビーチでナンパ。スレンダーな黒ビキニとオレンジビキニのDカップ。
わたし担当は黒ビキニでした。
夕食して民宿戻って4人で飲んで部屋分かれてからセックス開始。オッパイはないけどくびれが凄くて恥じらいながらもやることちゃんとさせてくれるのがツボでした。
2回戦挿入している最中にオレンジビキニと友達が部屋戻ってきて、そのまま黒ビキニが喘いでいるのを鑑賞してもらいましたw。
明け方、オレンジビキニとも一戦交えることに。黒ビキニは別部屋で友達と。張りのある良いオッパイしてましたが、これは作業っぽいセックス。
黒ビキニが気に入ってたので、翌日昼間にまた誘って民宿で2発抜きましたw

90年に行ったけどその頃が最盛期あたりだったのかな?
夏休みはそこらじゅうにビキニの女の子だらけで女の子もみんな、やる気満々だから話がまとまるのがとにかく早い、4~5日いれば二桁喰えたよ。ビッチが多かったけどたまに上玉もいた。
今で言うと大島優子似の笑顔の可愛い高校生と意気投合して一晩中、ハメまくったのは最高の思い出。最初はゴム着けたけど3発めからはお互いめんどくさくて生でやってたな 。

今の時代は、島に行くより出会い系~♪

今の時代は、わざわざ島に行かなくてもスマホ片手にセックス三昧…。

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それに季節を問わずに股を開きます(笑)。

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セックスアイランド体験談追加

「新島に行けばできる!」この都市伝説が広まっていたのは70年代末から80年代初頭。僕らの少し上の世代だ。サーファー全盛の時代に新島がアバンチュールのメッカとして高校生の間では定説になっていた。

しかし、僕らの世代になると、新島はもう古い。行ってもカワイイ女のコはいないんじゃないかと囁かれ、僕らは84年8月1日から5日の三泊四日。新天地、神津島を目指した。

深夜12時前に出発する船に乗り込むため、僕は男子校の同級生9人と竹芝桟橋へ向かう。ピンクのギンガムチェックのシャツに白いショートパンツ。髪も美容院で郁弥の写真を見せてチェッカーズカットにしたばかりだ。これでモテないはずがない。当時16歳。僕らは映画『グローイング・アップ』のベンジー、ボビー、ヒューイよりも女のコのことで頭はいっぱいだった。

竹芝桟橋に着くと、そこは、同世代の男女が溢れていた。男子はみんな僕らのように比較的大人数だったが、女子は2~3人のグループが多かったような記憶がある。あの頃、ディスコに通っていた高校生は全員神津島を目指したのではないだろうか。

周囲から漂うコパトーンのココナツの香り。84年夏。僕らの伝説は神津島から始まる。みんなそう信じて疑わなかったと思う。

船に乗り込み、甲板に場所を陣取ると、まず、持ち込んだカセットをオンにして、フルボリュームのロックンロールが炸裂する。この年の7月21日に発売されたばかりのチェッカーズのデビューアルバム『絶対チェッカーズ』に収録された、「ウィークエンド アバンチュール」だ。

土曜日のラブアフェアー
コインを投げればきまりさ
その日かぎりのロミオ&ジュリエット
火遊び上手さ
ウィークエンド アバンチュール

僕らの心情をリアルに、そして軽妙に描いたこの曲が夏の伝説がスタートするにふさわしい高揚感を僕に与えてくれた。

フランクフルトや焼きそばの屋台がある甲板のあちこちから音楽が聞こえる。サザンの「ミス・ブランニューデイ」、吉川晃司の「モニカ」。新宿、渋谷のディスコと変わらない熱気。あの頃、旅にラジカセは必須だった。漆黒の海、船は新天地を目指す。

うっすら夜が明け始めた午前4時。島影が見えると船は停泊する。1時間ぐらい待ち、朝日と共に船は入港するのだ。

船でナンパを繰り返し、疲れ切った僕らは民宿で仮眠をとって、ラジカセを担ぎ浜へ繰り出す。神津島多幸湾の白浜には高校生しかいない。水着姿の女のコたちがとびきり可愛く見える。今考えてみると、ナンパしてどうしようというよりも、浮かれて声をかけるのが楽しくて仕方かかったのだと思う。

高校生だから疲れ知らず。泳いではしゃいでナンパして…。じゃあ夜はどうする?

もちろん答えはひとつ。「神津島にもディスコがあるはずだ!」当時から情報収集が好きだった僕は、海水浴場のはずれ、漁船が停泊する港に、それらしき看板を見つける。
『DISCO JACKAL』どう見ても場末のスナックのような佇まいだが、確かにディスコと書いてある。

恐る恐る中へ入ってみると、やはりスナックだった(笑)。しかし、客席をぜんぶ取っ払い、即席でフロアが作られている。DJブースに目をやるとターンテーブルが2台。スピーカーからハイエナジーが炸裂する。おそらく、夏の間だけ東京からDJを呼び、ディスコとして営業しているのだろう。しかし、そんなこと問題じゃない。サイコーのサウンドシステムじゃないか!

シャラマーの「ダンシン・イン・ザ・シーツ」、ハワード・ジョーンズの「ニュー・ソング」などヒット曲が立て続けにかかり、ほんのわずか空白があった後に耳慣れたアカペラのイントロが入る。

なみだ~のリクエ~スト
最後のリクエ~スト

クロベエがドラムを踏み込むと、頭の中は空白になっていた。「涙のリクエスト」だ! ディスコでチェッカーズ! この時の衝撃、高揚感は今も自分の中にある。刹那と永遠の狭間に確かに84年の夏は存在している。

それでは、この年のアバンチュール。肝心のナンパはどうなったのか? それは、その次の年、85年の夏についても記さなければならない。

翌年、僕らは、この夏が忘れられず、同じく8月1日~5日に再び神津島を目指す。『DISCO JACKAL』は健在だった。

そして、去年と同じ日に、「涙のリクエスト」の直後にナンパした女のコと再会した。彼女も僕らと同じで去年の夏が忘れられなかったという。ひとつ年上の彼女はソバージュをかけずいぶんオトナっぽくなっていた。恥ずかしくて僕は目を合わせられなかった。

東京に戻り僕は一年越しで彼女をデートに誘うことに成功した。今はなき渋谷の東急文化会館、五島プラネタリウムで神津島と同じ満天の星を見た。

星空よりも、暗闇の中の彼女の横顔のほうが気になって仕方がなかったけど。そして、手を握った。神津島の星空の下では握れなかった彼女の手を渋谷の満天の星空の下で握ったんだ。

しかし、このお話はここでおしまい。十代の恋なんて、儚く、あどけないほうが心に残る。今でも「涙のリクエスト」を聴くと神津島の満天の星空を思い出す。84年の夏はやたらと流れ星が多い夏だった。

 

 

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